2009年06月18日

接地極付コンセントの施設

電気洗濯機、衣類乾燥機、レンジ、電気冷蔵庫、食器洗い機、冷暖房機(冷房機)、温水洗浄式便座、電気温水器、自動販売機に使われるコンセントは接地極付コンセント(接地用端子付が望ましい)とすることとなっている。
住宅に施設する200V用コンセントは接地極付コンセントとすることとなっている。
屋側の雨線外または屋外、台所、厨房、洗面所、便所に施設するコンセントは接地極付コンセント(接地用端子付が望ましい)とすることが勧告されている。
住宅以外に施設する200V用コンセント、医療器具用のコンセント、単相3線式分岐回路に用いる100/200V併用コンセントは接地極付コンセントとすることが勧告されている。
その他一般に、住宅に施設するコンセントは接地極付コンセントとすることが推奨されている。
劇場等演出空間電気設備指針、演出空間仮設電気設備指針では、安全性確保の観点から、接地極付の配線用差込接続器を使うよう定められている。 したがって、1999年以降に建設、改修された設備については、すべて接地極付のものが使われていることになっている。

施設、業者によっては、これまでの2極のコネクタを接地極付のものに取り替えただけで、接地線を配線していない例もあり、注意が必要である。

JIS C8303-1993(配線用差込接続器)に規定されているもの
2極15A125V
2極接地極付15A125V
いわゆる平行プラグ・コンセント。ごく小規模な施設で使用されている。大規模設備で使用するものでも、エフェクトマシンのモータ電源、カラーチェンジャの電源等に用いられる。汎用品のため、コストが安い。
更年期障害
映画音楽
アルツハイマー病
オリエンテーリング
関節炎
人間工学
甲状腺疾患
環境工学
タップダンス
機械工学
原始時代
いざ・鎌倉時代
世界の建築
季節のこよみ
月の物語
湯・山梨
外国の物語
果実で美!
オレンジ活用
掃除秘伝

コンセント/コードコネクタボディには抜止形が用いられることが多い。
2極引掛形15A125V
2極接地極付引掛形15A125V
2極引掛形20A125V
通称はツイスト、ツイストロック
分割型のアッパーホリゾントライトなどの固定設備にもっぱら用いられる。
20Aのものについては、改修で後述のC型20Aに取り替えられることが多い。
3極接地極付引掛形20A250V
三相3線用であり、舞台機構用の動力電源として用いられることが多い。
通称はこれも、ツイスト、ツイストロック
JIS C8303-1983に規定されているもの(廃止規格)
2極20A250V
いわゆるT型。かつて多用されていたが、電気用品の技術基準の改正により、100Vと200Vの誤接続を防ぐため100V系での使用が禁止され、現在では規格自体が廃止されている。
しかし現在でも多数残っており、ツアーでは旧型の機材(T型)用にミニC→T型への変換ケーブルを持ち回っている事が多い。しかし、感電、漏電事故を起こした場合、過失を問われることになる可能性が高い。

2009年06月01日

新たな遺伝的形質が物理・化学的な性質である

自己組織化からもたらされるものもあると考えられている。ここで言う自己組織化というのは、ゲノム中には直接コードされていないようなものである一方、様々の生体システムに広く存在するだろうと常に期待されるようなものである。

スチュアート・カウフマンはこの観点に基づいて、自然選択はシステムの特別なクラスのみを選択し、その中には「order for free(自由への秩序)」を得るシステムが偶然に含まれていると説明した。ここで言う「order for free」とは、生物の進化の過程に普遍的に存在するとされた仮定の法則である。この説を補強し得るいくつかのメカニズム(遺伝子制御ネットワーク、自己触媒集合、RNAの配列-構造解析)が、進化に適用可能な実際的な理論の一部として慎重に組み入れられてきた。しかし、カウフマンの描くシステムの全体像にはいまだ議論の余地が残されている[要出典]ともいう。

集団内で起きる形質の固定と消失は、集団内である特徴が多く見られるようになる一方で、別のある特徴が見られなくなっていくという状況を意味する。形質の固定と消失に対しては、2つのプロセスが寄与していると一般的に考えられている。

その過程とは、以下の2つである[要出典]とされる。
学習指導 宿泊施設 理容 内職 インプラント 雇用 探偵 リフレ バイク アロマ 通信販売 生涯学習 ファッション 英会話 予約 楽器教室 キャンプ場 脂肪吸引 SOHO 豊胸 税理士 レストラン 美容整形 タロット 成人病 スポーツ 教材 自動車 資格 海外 エイジ ホテル 関東 脱毛 起業 脂肪吸引 内職 賃貸 美容整形 介護 成人病 癒し セミナー 産業 パソコン 信越北陸 養毛 探偵 若返り 不動産


自然選択
遺伝的浮動

現在の進化論では、生物の進化は主として自然選択の結果であるとしている。以下に非常に簡単にではあるが、要約を示す。

自然選択説は、以下の3つの原理に基づいている。

生物の種内には変異があり、それらは遺伝する。
親は、生き残れる数よりたくさんの子を産む。
生き残った子供は、好適な形質を伝えたものである。
自然選択はまた、生物が長い時間を越えて生き残っていくのに役立つ仕組みを提供している。環境は常に変化し続けているので、後続の世代が適応を続けることで、生存と繁殖することが可能になる。さもなければ、その生物が適応していた生態学的地位が消滅するのにあわせて、その種も絶滅することになるだろう。それゆえに生物は種として進化することで、長い時間のなかを生き延びることができるのである。進化論において自然選択が中心的役割を果たすことになったのは、野外での生態学の研究によってもたらされたものである。

遺伝的浮動とは、集団内における選択圧とは無関係な遺伝子の頻度の変化のことである。親の世代の遺伝子の分布を維持するのに十分な数の子孫を作れないような、そういった小規模な交配集団においては、この現象は特に重要である。このような世代間での遺伝子頻度の変動は、ときには集団内からのそれら遺伝子の消失を招く。 このため、集団が2つに分離されたとき、最初のこれら集団の遺伝子頻度は同じであるが、やがて遺伝子頻度のランダムな変動、すなわち「浮動」によりこれらの集団は異なる遺伝子のセットを持った集団へと変化していく(つまり、片方の集団からある遺伝子は消失してしまったが、もう片方の集団には残っているような状態)。火山の噴火や隕石の衝突といった、ごくまれにしか起きないような現象は、平時の選択圧とは違った方法で遺伝子頻度を変化させることで、遺伝的浮動に影響を与えてきたかもしれない。

2009年04月28日

アルゴリズム解析

アルゴリズム解析とは、アルゴリズムの実行に必要とされるリソース(時間や記憶領域)量を見積もることである。多くのアルゴリズムは任意長の入力を受け付けるよう設計されている。アルゴリズムの「効率」や「複雑さ」は一般に、入力長からそのアルゴリズムを実行するのに必要なステップ数(時間複雑性)や記憶領域サイズ(空間複雑性)への関数として表される。

アルゴリズム解析は理論計算機科学の重要な一分野である。隣接する計算複雑性理論では、与えられた問題を解くアルゴリズムが必要とするリソースを理論的に見積もる。この見積もりにより効率的なアルゴリズムを設計する指針が得られることがある。
ラフランス生活・暮し情報
美容整形・ぜん息関連健康・医療情報
マウンテン通販ショッピングサーチ
ココスクラブ教育全国情報ガイド
旅館・旅館関連お出かけ総合
コンニャクヤ最新コスメチック情報
設計施工・就職関連ビジネスビジネス情報
ビー玉生活紹介ナビ
矯正歯科・リラクゼーション関連ようこそ医療総合
モダニカネットショッピングサーチ


アルゴリズム解析ではふつう、漸近的(asymptotic)な意味で複雑性を見積もる。すなわち、あるていど大きな入力長の際の複雑性関数を見積もる。このためにO記法、Ω記法、Θ記法が用いられる。例えば、二分探索のステップ数は入力サイズの対数に比例し、これを O(log(n)) と表記したり、「対数時間」と称したりする。このような漸近的な見積もりを用いるのは、同じアルゴリズムでも実装の違いにより差が出るのを捨象するためである。異なる実装による効率の違いは定数倍に留まる。この定数を隠れた定数(hidden constant)と呼ぶ。

漸近的でない正確な効率がわかる場合もあるが、そのためには「計算モデル」と呼ばれるアルゴリズムの特定の実装を仮定する必要がある。計算モデルはチューリング機械のような抽象化された機械を使うか、個々の命令の実行時間が変化しないと仮定することが多い(例えば実際のコンピュータではキャッシュにヒットするかしないかでは大きく実行時間が異なるが、アルゴリズム解析では一般にそれを無視する)。例えば、二分探索で N 個のソートされた数から探索する場合、1回の参照を一定の単位時間でできるとした場合、回答を得るまでに最大で log2 N+1 単位時間を要する。正確な見積もりはアルゴリズムを実装して使用する人々にとって有用であり、実行に要する時間を正確に知ることができる。一部の人々(例えばゲームプログラマ)にとっては、隠れた定数が成功と失敗を分けることもある。

時間効率の見積もりはステップとして定義するものに依存する。意味のある解析をするには、各ステップの実行時間の上限が一定でなければならない。例えば、2つの数の加算を1ステップと仮定したとしよう。この仮定は場合によっては正しくない。例えば数が極めて大きくなれば、加算が一定時間で完了するとは限らないからである(紙と鉛筆で2桁の加算をする場合と1000桁の加算をする場合を比べていただきたい)。

2009年04月13日

カラハン朝

カラハン朝は、中央アジアにあったテュルク系イスラム王朝(9世紀中頃 - 1212年)。テュルク系民族として最初にイスラム教へ集団的に改宗し、中央アジアのテュルク化・イスラム化に大きな役割を果たした。イリグ・ハン朝ともいう。

カラハン朝あるいはイリグ・ハン朝の名は歴史家による便宜的な呼称であり、同時代のアラビア語、ペルシア語などではハーカーン朝(??????? Khakānīya)として記録されていた。カラハン、イリグ・ハン、ハーカーニーヤとも、この王朝の君主が突厥と同じテュルク系君主の王号である可汗(ペルシア語でハーカーンあるいはハーン)を用いたことによる。歴代の君主は「力の強い」ことを意味するカラをつけたカラ・ハン(Qara Khan)、「威霊ある」ことを意味するイリグをつけたイリグ・ハン(Ilig Khan)といった王号を称した。

歴史 [編集]
カラハン朝の起源と初期の歴史については不明なところが多い。840年にモンゴル高原を支配するウイグルの遊牧国家が崩壊した後、アルタイ山脈の西、天山山脈の北、バルハシ湖の南の草原地帯で自らの王国を形成したと考えられている。国家の母体は、それ以前からこの地方で遊牧していたカルルクの部族連合が興したとする説が有力である。

10世紀の前半頃、伝説上の初代ハンの孫サトゥク・ボグラ・ハンがサーマーン朝の影響を受けてイスラム教に改宗し、異教徒であった伯父を倒してカシュガルからベラサグンにかけてのイスラム王国を築いたとされる。しかし、サトゥク・ボグラ・ハンの改宗とその事績についても同時代の記録がないため、伝説としての色彩が濃い。

イスラム側の史料によればカラハン朝は、960年に帳幕(ユルト)20万帳にのぼる遊牧民たちのイスラム教への集団改宗を行ったとされる。これ以後のカラハン朝はジハード(聖戦)を掲げ、タリム盆地の仏教国ホータンやクチャを征服する一方、西にも拡大して999年にブハラを征服し、サーマーン朝を滅ぼしてマーワラーアンナフル(トランスオクシアナ)を併合した。しかし、1008年にはホラーサーンのガズナ朝に敗れ、アム川以西へは進出できなかった。

現在の新疆ウイグル自治区西部からウズベキスタンに至る広大な領域を支配するようになったカラハン朝では、征服されたタリム盆地やマーワラーアンナフルのオアシス都市にテュルク系ムスリム(イスラム教徒)たちが入り込み、徐々に遊牧生活をやめ都市へ定住していった。同じ頃、カラハン朝との境となる天山山脈の東側にはウイグルの残存勢力による天山ウイグル王国が形成され、同じように定住化に向かったので、この二つのテュルク系国家のもとでこれらの地域のテュルク化が進んでいった。また更に、ホータン、カシュガルなどタミル盆地の西部もカラハン朝のもとでイスラム化していった。後にこれらの地が「トルキスタン」(「テュルク人の土地」を意味する)と呼ばれるに至る契機となった。

もともと遊牧民の部族制を基盤に成立したと考えられるカラハン朝は分権的性格が強かったと考えられ、可汗を名乗る君主が複数あったことが貨幣の研究から明らかになっている。彼らは内紛から1041年に決定的に東西に分裂し、スィル川とパミール高原を境に西カラハン朝と東カラハン朝にわかれた。

その後、定住化が進んで軍事力を弱体化させていた東西のカラハン朝は、同じ11世紀にマーワラーアンナフルの西で興ったセルジューク朝に打ち破られ、1089年に西カラハン朝はセルジューク朝のホラーサーン政権に服属した。さらに12世紀初頭には耶律大石を指導者とする集団が中央アジアにあらわれ、カラハン朝発祥の草原地帯に入ってカラキタイ(西遼)を建国した。東西のカラハン朝はカラキタイの圧迫を受け、いずれもカラキタイに服属した。

1131年にカラキタイと戦って敗れた東カラハン朝はカシュガルのオアシスをわずかに支配する小国となり、1211年になってカラキタイを乗っ取ったナイマンのクチュルクによって滅ぼされた。西カラハン朝はサマルカンドを中心にマーワラーアンナフルを支配するカラキタイの属国として命脈を保ったが、13世紀初頭にホラズム・シャー朝がカラキタイを破ってマーワラーアンナフルを占領すると、ホラズム・シャー朝にサマルカンドを追われて完全に滅ぼされた。

文化 [編集]
カラハン朝の成立は、中央アジアのテュルク化の契機として中央アジアの歴史上非常に重要視されている。カラハン朝の時代以降、中央アジアの定住民の多くはもともと話していた東イラン諸語などインド・ヨーロッパ語族の言語にかわってテュルク諸語に属する言葉を母語とするようになり、特にシルダリヤ川以東の地域は「トルキスタン」と呼ばれるようになった。また後の東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)にあたるタリム盆地とその周辺域のイスラム化に関しても大きな役割を果たした。最初に改宗を行った伝説的な君主サトゥク・ボグラ・ハンはトルキスタンの各地で聖者とみなされ、現在にいたるまで深く尊崇されている。

イスラム化とマーワラーアンナフルの征服を通してサーマーン朝でアラブ・イスラム文化とペルシア文化が結びついて成熟したペルシア・イスラム文化が流入しすぐれた都市文化が栄え、イラン・中央アジア各地に定着した。さらに「カラハン朝トルコ語」と呼ばれるアラビア文字を使って記されるテュルク語の文語が生まれて、テュルク・イスラム文化と呼ぶべき独自の文化を誕生させた。その精華として広く知られるのが、11世紀にはカシュガルの宮廷に仕える侍従ユースフ(ユースフ・ハーッス・ハージブ)があらわしたカラハン朝トルコ語による韻文作品『クタドゥグ・ビリグ』である。また、カシュガル生まれのカラハン朝の王族マフムード・カーシュガリーは内紛を避けてアッバース朝に逃れ、バグダードでセルジューク朝が権力を確立して間も無い時期(1077年ないし1081年)に中央ユーラシア各地の様々なテュルク諸語の語彙を集めた『トルコ語辞典(ディーワーン・ルガート・アッ=トゥルク)』を編纂しこれをアッバース朝カリフ・ムクタディーに献呈したが、これは当時のテュルク系民族の言語や生活ぶりを伝える重要な資料となっている。

ロマネ スラッ ピロシキ 地上SEO 舌切雀 かばいろ ルート マリーゴ ムービン ムレザー カミング モダン フェド セット ライト ヨーガ プティカル パワポ フェイ ひちく 芽ばえ ムーブ 紅い川 キワノ カルソン まだい リリース ヨーソロー ズンバ トアル ヒアシンス ザフスタン おたる あまおう ピンチ カシス ハウス ジョホール スプライ ロード スハマ キャット レディ 葦の恋 セラミック バジル ダーツ 承平上位 チムニ プラセ


2009年03月29日

鋼鉄ジーグ

玩具メーカーのタカラ(現タカラトミー)が、磁石を使った合体ロボット「マグネモ」の企画を、講談社の児童向け雑誌テレビマガジン編集部に持ち込んだところ、ダイナミック企画を紹介され、永井豪と安田達矢を中心にロボットがデザインされた。

安田は、当時アシスタントとしてのキャリアは2年少々であったが、ライオンをモチーフにした印象的な顔のデザインが採用され、そのままマンガ作品をテレビマガジンにデビュー連載することとなる。

マンガ連載と合わせて、ジーグの玩具も誌上でプッシュ、好調なスタートを切る。折りしもダイナミック企画と当時蜜月の関係であった東映動画への企画プレゼンテーションへと運び、アニメ化が決定される。

本作は、先行する東映動画-ダイナミック企画作品『デビルマン』や『マジンガーZ』などと違い、先に玩具とマンガ連載ありきでアニメ化された。

この玩具が先行する手法は後年の『トランスフォーマー』『ビーダマン』『ミクロマン』『ベイブレード』などでも用いられ、「タカラの山」によると「タカラ的な手法」としている。

トイジャーナル1975年9月号によると本作の立ち上げにさいし、タカラは「鋼鉄ジーグ事業部」を設立、本作にかける意気込みのほどがうかがえる。
すぎやま バイオ ファイト チグラフィ 寛和 トリタン ビストロ クウェート スペシャル トップス スラバ フェン サイネ 赤ひげ ピペット スクワレ ミイアエラ スイッチ ソース ルーター シティー ハイオネロ メキシコ メグマ オルゴール フーファ タンデム フェース 冬の南風 セイフ バイポ ブラウニー フランネ スマス ギャンブル おーたむ バース 古都の ケワキ ルーイク レット リングアウ ド小法師 ズンイン レングス バック テクニ スラブ 見返り NO1ラン

玩具の「マグネモシリーズ」は、磁石の球体関節により可動範囲が広く、またパーツチェンジも楽しめることから人気を博した(公園の砂場で遊ぶと、磁石が砂鉄を集めてしまい、関節の動きが悪くなるという逸話がある)。売上げはポピーの「超合金」マジンガーシリーズを上回った程で、視聴率的に恵まれたとはいえなかった本作が、路線の一部変更の上続いたのは、玩具の売り上げに起因している。

ジーグのマグネモは現在でも特に人気が高く、中古品が数万円で取引される事態を受けてか、1998年には復刻版が発売されたほどである。

マグネモシリーズは本作以降も『マグネロボ ガ・キーン』『超人戦隊バラタック』と続き、それらを基にして製作したロボットアニメと本作は『マグネロボシリーズ』と呼ばれる様になるが、ダイナミック企画が関わったのは本作のみである。また、玩具のマグネモシリーズはTVシリーズとは別に『ゴワッパー5 ゴーダム』など、東映動画以外の作品でも展開された。

劇中ではスターウォーズや機動戦士ガンダムに先駆けて、ビーム式の刀剣らしき武器が登場している。

ストーリー [編集]
考古学者・司馬遷次郎は、古代日本を支配した邪悪な国家「邪魔大王国(じゃまたいおうこく)」と「女王ヒミカ」の復活を察知したが、王国の放った「ハニワ幻人」の襲撃を受ける。優秀な科学者でもある彼は、死の間際、コンピュータに自身の意識と記憶を移し替える。一方、カーレースで大事故を起こしながら無傷であった息子・宙は、既にサイボーグへと改造されていたことを父に告げられる。彼を頭部とする巨大ロボット「鋼鉄ジーグ」は、日本の支配をもくろむ邪魔大王国に立ち向かう。

古代日本の「邪馬台国」、「卑弥呼」をモチーフとした設定である(邪魔大帝国やハニワ帝国と誤記される事もある。)。ジーグの敵役は「ハニワ幻人」と呼ばれる。

キャラクター・キャスト [編集]
司馬宙(しば ひろし)
声 - 古谷徹
主人公でありサイボーグ。遷次郎が発掘した、邪魔大王国の重要な秘密を握る「銅鐸」を内蔵している。「鋼鉄ジーグ!」もしくは「チェンジ・サイボーグ!」の掛け声と共に手にはめた専用グローブの拳を合わせると、等身大の戦闘スタイル・サイボーグ体になる。 またこの際に体を丸めた体勢をとると、巨大ロボ・鋼鉄ジーグの頭部に変形する。初期のサイボーグには武装はなかったが、後の強化体になると鞭(ジーグビュート)が標準装備となる。本職は自動車整備工場「司馬モータース」の経営で、本人はカーレーサー志望。自分でも知らないうちに父にサイボーグに改造されており、本編第一話で初めてそれを知る事になる。熱く突っ走りがちな性格で、当初は自分の運命を受け入れられず遷次郎にも反抗的な態度をとることが多かったが、その一方で「父の気持ちを理解したい」という気持ちも持ちあわせていたようである。
次回予告のナレーションも担当しており、予告の最後には「○○(次回のサブタイトル)にチャンネル・セット!!」と叫ぶのが恒例となっていた。
テレビマガジン版ではサイボーグになった経緯が変更されており、銅鐸のありかを喋らない遷次郎への見せしめとして、イキマに襲われ瀕死の重傷を負った所を遷次郎に改造された事になっている(なので、アニメと逆に「命を救ってもらった」として、父との対立は余り深くない)。また、サイボーグと成って蘇生した直後に、遷次郎から「食事で食べた物がエネルギーに変換される」と説明されるシーンもある。
※演じた古谷徹は1970年代前半は大学に通学する為、芸能活動を中断していた。本作は大学卒業後の復帰第1作目である。
卯月美和(うづき みわ)
声 - 吉田理保子
ビッグシューターのパイロット。本作の本来のヒロイン。司馬博士の下で助手を務めていた。幼い頃両親が行方不明となり司馬家に引き取られ、宙とは兄妹同然に育った。通称・ミッチー(冒険王版では美和っぺ)。
司馬遷次郎(しば せんじろう)/マシーン・ファーザー
声 - 村瀬正彦
本人は第1話で死亡してしまうが、生前に意識と記憶をコンピューター「マシーン・ファーザー」に移し替えていた。本職は考古学者であるが、息子をサイボーグにしたり、巨大ロボットを作ったりと、才能の幅は広い。ネーミングの由来は、司馬遷および司馬遼太郎である。
ダイリ所長
声 - 田の中勇
鋼鉄ジーグの基地であるビルド・ベースの所長。遷次郎の死後に所長に就任した。
司馬菊江(しば きくえ)
声 - 山口奈々
夫の死後、留守がちな息子、宙の為に家計が火の車となり、その一助にと近所の蕎麦屋に働きに出る。
司馬まゆみ(しば まゆみ)
声 - 高橋和枝
宙の妹。幼稚園児。ジーグに亡き父親の面影を重ねている。最終回まで宙=ジーグであることに気付かなかった。
黒鷲のドン
声 - 緒方賢一
宙を一方的にライバル視する男。自動車整備工場を経営し、レースにも出場する。後にメカドンを開発し、自ら操縦者となる。
パンチョ
声 - 加藤修
ドンの子分。メカドンの補助操縦者。
チビ
声 - 山田俊司
宙経営の自動車整備工場たった一人の従業員。本名は遂に明かされず。

2009年03月13日

ローマ歴史地区

ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂 (ろーまれきしちく、きょうこうりょうとさん・ぱおろ・ふおーり・れ・むーらだいせいどう)は、イタリアのローマおよびバチカンにあるユネスコの世界遺産の登録物件。登録は1980年で、ヴェネツィア広場を中心としたエリアが登録されている。1990年には、アウグストゥスの霊廟、ハドリアヌス帝の霊廟などが拡張登録されている。また、同じく世界遺産に登録されている「バチカン市国」とも隣接し、こちらと一体となった保全活動が実施されている。
ジーセ ヨガア シチュー タン総合 ハニート マイペー ブラカップ ローラー 冬の花火 マンダ ヤーン パンチカド オーバル クロマ 海眺望 トルエ ナンプラー シーオーイ インター ケット モブシ 京野 リンケ オーディ ユニコー オプテ クローザー ハーバ ナイタ スカップ パラド ショコラ ショート サイクリ ナサ ブルー ハロウィン ナックル 湾岸道路 ユンド ロールカ ロイシン テアフ ライフ プライス パワー センサス セオドラ ソフト ミラノ

伝説によると、王の命により双子のロムルスとレムスの兄弟はテヴェレ川に流され、そこで狼に拾われて育てられた。そのロムロスがパラティーノの丘にローマを築いたという。実際には、紀元前7世紀ごろにサビニ人、ラテン人がローマを築いた。その後、現在まで都市として機能しつづけており、都市の中の都市とローマが呼ばれる所以である。
建造物 [編集]
フォロ・ロマーノ [編集]
パラティーノの丘とカンピドリオの丘の中間に位置する。フォロとは、広場のこと。ローマ帝国の政治、商業と市民の生活の中心だった場所である。フォロ・ロマーノが本格的に整備されるようになったのは、ユリウス・カエサルの時代で、アウグストゥスがこれを引き継ぎ、カエサルを祭ったユリウス神殿、元老院やバシリカ・ユリアが整備された。

コロッセオ [編集]

80年にティトゥス帝が建築。当時はフラウイウスの闘技場と呼ばれていた。コロッセオは長径が188m、短径が156mの楕円形。高さは48.5mの4層構造。収容人数は5万人とも6万人以上ともいわれている。ローマ帝国時代、ここでは血をすわせるため白い砂が撒かれその上で剣闘士同士や、剣闘士と猛獣の戦いが見世物として行われた。時には水を張って模擬海戦も行われたという。

現在は、地上部分が露出している。

コンスタンティヌスの凱旋門 [編集]

当時副帝であったコンスタンティヌス帝が、正帝マクセンティウス帝に対し、312年ミルヴィオ橋の戦いで勝利した事を記念して315年に作られた。高さ28m、幅25.7m。見事なレリーフが施されている。

サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂 [編集]

コンスタンティヌス帝が、312年に建築した世界で初めての本格的なキリスト教聖堂である。ラテラノ条約によってバチカン市国の領域外にありながらバチカン市国の特別な権利が認められている。ローマ教皇のローマ司教としての司教座聖堂(カテドラル)である。

サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂 [編集]

7つの丘の1つエスクィリーノの丘の上に建つ聖堂。教皇リベリウスの夢の中で「夏に雪の降った地に教会を立てよ」と聖母が告げ、実際に真夏に雪がふった場所に聖堂を建てたという伝説から、雪の聖母聖堂とも言われる。鐘楼は、1377年頃に建築され、ローマで最高の75mを誇る。

サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂 [編集]
4世紀、コンスタンティヌス帝により建築された、聖パウロの墓がある聖堂。奥行き131m、幅65m、高さ30m。内部は80本の大理石の柱が4列に並んでいる。フオーリ・レ・ムーラとは、城壁の外という意味で、その名の通り城壁から南へ2kmはなれた場所にある。聖堂の名前を日本語に直すと「城壁外の聖パウロ大聖堂」という名前になる。建築当時は小さな聖堂であったが、その後大規模な改修が行われた。しかし1823年の火災で全壊、1928年に再建された。

カラカラ浴場 [編集]
217年にカラカラ帝によって造られた公衆浴場。1600人収容可能だったと推定されている。浴場以外にも図書館などもありローマ市民の娯楽施設であったことが伺える。度重なる破壊と略奪があったが、現在もモザイク模様の床などが残る。

2009年02月25日

泥棒かささぎ(La gazza ladra)

泥棒かささぎ(La gazza ladra)はロッシーニが1817年にミラノ・スカラ座向けに作曲したオペラ(オペラ・セミセリア)である。

原曲名:La gazza ladra
原作:T.B.ドービニー及びルイ・シャルル・ケーニエ合作の悲劇「La Pie voleuse」
台本:ジョヴァンニ・ゲラルティーニ
演奏時間:序曲9分、第1幕1時間40分、第2幕1時間40分
作曲期間:1817年3月ごろ着手、1817年5月頃完成
初演:1817年5月31日ミラノ・スカラ座(ミラノ)
日本初演:2008年3月7日東京文化会館(東京)・藤原歌劇団
ロッシーニは、当時まだ創設40年ほどしか経っていないミラノスカラ座のために1812年に「試金石」を、1814年には「イタリアのトルコ人」を作曲していた。

まだ創設からの歴史が浅いスカラ座で「試金石」でオペラ作曲家としての初成功を収めたことや、続く「イタリアのトルコ人」が「アルジェのイタリア女」の二番煎じとして誤解されていたことや、ドイツやウィーンでの音楽の動向に敏感なミラノの聴衆を意識して、オペラ・ブッファやナポリのサン・カルロ劇場向けに書いていたオペラ・セリアとはまた別の形の題材を選び、彼としては3ヶ月という異例の期間を設けて作曲したのがこの歌劇である。

本作品は19世紀初頭にフランスで流行していた「救出オペラ」の流れを受け、以下の特徴を持っている。

当時の社会情勢を反映して、農民や庶民たちと、彼らに不当な圧力をかける権力者(この作品では代官)との対決があり、前者に属するヒロインが自分と同じ階級の恋人や愛人がいるにもかかわらず、権力者から横恋慕され悲劇が始まる。
権力者に囚われたヒロインが冤罪に陥れられ、それを嘆くヒロインを描く法廷の場や牢獄の場を書き入れる。
そのような絶体絶命のピンチに陥ったヒロインが、最後は二つの階級を超越した立場の領主や国王などの絶対的な権力者によって救われハッピーエンドとなる。
という物語が繰り広げられる。しかし、初演時はナポレオン戦争に世間が振り回された後ということもあり、その疲れからか、真犯人をカササギに設定することによって、一服の清涼感を聴衆に与えることにもなっているとされている。

劇中の音楽はロッシーニのオペラとしては珍しくすべて書き下ろしで構成され、有名な序曲も、ロッシーニの他の作品と異なり、オペラ本体の音楽から採用されている。

例えば

主部第1主題(アレグロ・ホ短調・4分の3拍子)…第2幕第1場のニネッタとピッポの二重唱
主部クレッシェンド主題(アレグロ・ト長調・4分の3拍子)…第2幕第1場の代官のアリア(アレグロ・ハ長調4分の3拍子)
がその一例として挙げられよう。そして、冒頭の小太鼓のドラムロールは死刑台へと向かうニネッタを暗示したものとなっている。

構成
2幕4場からなる。

第1幕
第1場…ファブリッツィオ家の中庭
第2場…ファブリッツィオ家の一階の部屋
第2幕
第1場…ニネッタのいる牢獄と面会所
第2場…ファブリッツィオ家の一階の部屋
第3場…法廷
第4場…村の広場

編成
登場人物
ニネッタ・ヴィッラベッラ(ヴィングラディート家の女中でジャンネットの恋人)…ソプラノ
ジャンネット・ヴィングラディート(ニネッタの恋人)…テノール
ルチーア・ヴィングラディート(ジャンネットの母)…メゾソプラノ
ファブリッツィオ・ヴィングラディート(ジャンネットの父)…バス
フェルナンド・ヴィッラベッラ(ニネッタの父で逃亡兵)…バス
ピッポ(ヴィングラディート家の召使いの青年)…メゾソプラノ
代官…バス
イザッコ(行商人)…テノール
アントーニオ…テノール
ジョルジョ…バス
エルネスト…バス
裁判官…バス

管弦楽
フルート 2(ピッコロ持ち替え)
オーボエ 2
クラリネット 2
ファゴット 2
ホルン 4
トランペット 2
トロンボーン 3
ティンパニ
大太鼓
シンバル
小太鼓 2
トライアングル

弦五部
第1ヴァイオリン
第2ヴァイオリン
ヴィオラ
チェロ
コントラバス
混声合唱

第1幕
舞台はイタリアのとある田舎

第1場
ファブリッツィオ・ヴィングラディートの息子ジャンネットが兵役から戻ってくるので、そのお祝いの準備で家中が忙しい中、召使いの青年ピッポが自分の名前を呼んでいる声がするので振り返るけれども誰もおらず、それがカササギの鳴き声であることが分かり家中が大笑い。そのような陽気な雰囲気の中で女主人のルチーアがしっかりするように指示する一方で、主人のファブリッツィオはシャンパンを持って陽気に登場する。女中のニネッタは息子ジャンネットの恋人だからである。しかしルチーアは最近忘れ物が多いニネッタに対してあまり好意を抱いていない。しかしニネッタの父親が出征中なのでやさしくしてあげるべきだとのファブリッツィオの忠告をしぶしぶ容れる。

そうした中、ニネッタがアリア「私の周りがみんな」を歌いながら登場、ジャンネットの帰りを心待ちにしている。それを見たファブリッツィオはモジモジしないでもいいよとアドヴァイスをいれる。そして変わりに現れたルチーアからは、今度食器をなくしたら承知しないといわれ、ジャンネットの迎えにニネッタを連れて行く。

そして家の入り口はジャンネットを待ちわびる群集でいっぱい。そんな中、ジャンネットがアリア「さあこの腕の中に」を歌い、みんなで祝杯を挙げる。

パーティーが終わったあと、ニネッタが家の奥に入るとなぜか父親フェルナンドが現れる。何故かとニネッタが驚いて経緯を尋ねると、フェルナンドは、ニネッタ会いたさに帰還許可を巡る一件で隊長と刃傷沙汰を引き起こしてしまい軍法会議の結果死刑が宣告されたために友人の助けを受けてここまで落ち延びたとのこと。そこへ折悪しく代官がやってくるので、フェルナンドは食卓の下に隠れる。

そして、現れた代官は二人がいるのに気づかずにアリア「私の計画は用意周到だ」を歌う。代官はニネッタに近づき口説きにかかるが、そこに召使いのジョルジョが現れ、警察からの至急の手紙を届けに来る。代官がそれを読んでいる間にニネッタは父親を逃がそうとするが、父親フェルナンドは一文無しなのでたった一つ残した財産である銀の食器を渡しそれを換金して近くの栗の木のほこらに隠してくれと頼み立ち去ろうとするが、代官は彼を引きとどめ、ニネッタに今受け取った脱走した死刑囚フェルナンドの手配書を見せ、眼鏡が無いので代読してほしいと頼む。ニネッタはその内容をわざと外してごまかして見せるが、その姿に惚れた代官がニネッタに言い寄ってくる。しかしニネッタはそのいやらしい代官に肘鉄を食らわせ、フェルナンドも代官をたしなめるので代官も不服顔で退場し、父親も丘を登って栗の木へ向かう。その間にカササギがスプーンを盗んでいく。

第2場
帰還パーティーが終わりピッポが大満足で通りかかるが、ニネッタはピッポがいてはまずいので、ピッポにカササギのかごを取りに行かせ、その間に行商人のイザッコに父親の銀食器を売る。ピッポがなぜイザッコを家に入れたのかとたずねると、小間物を売ったとごまかす。

そこへルチーアとファブリッツィオが登場し、また銀食器が無くなったと騒ぎ立てる。代官が家庭内での窃盗事件は現在の法律では死刑だと言い、ニネッタを疑り深く見つめる。フルネームを聞かれたニネッタが「ニネッタ・ヴィッラベッラ」と答えたので、代官は脱獄囚の娘だろうと見抜き、父親の逃亡資金が必要なので盗みをしたのだろうと濡れ衣を着せる。折悪しく彼女は銀食器を売ったお金を持っており、その出所を答えることが出来ない。
プロフ幸 かぶらな とらが ラマダ オガタ ビラ 五色の雲 スポット パネラー 梅園 モラハラ カラー 知っ得 クラート アノレ シュホン ゲレンデ ペンイ カーハート カウガール ドラッ ゲーテ マジョラ ナベルト トバン ロドプシ ボルマーク 広場 ミキサー ボルダ トハングリー マッシ ビクトリ トリウム マグナカル モナコ バンパ フォトレ アッペ こまいぬ オキサイド テーラ ルーム はぐろ クセル スタブ 大麦若葉 けつがん ナツツ プラット

ピッポがその金を小間物を売って得たものだと取り繕い証人としてイザッコを呼び寄せるが、イザッコはF.Vのイニシャルつきの銀食器だったと答える。ニネッタの父親のイニシャルとファブリッツィオのイニシャルは同じF.V。ニネッタは言い訳がでじきず、ついに恋人のジャンネットまでもお前は悪人だったのかと悲痛な叫びをあげ、代官が思惑通りにことが運んだ事でほくそえむ。一方、ニネッタは悲しみの中、家庭内窃盗容疑で逮捕連行される。

第2幕
第1場
舞台は変わってニネッタが拘留されている牢獄の中。

一度は疑ってみたもののやはり無実を信じるジャンネットが面会にやってきてニネッタとの間で二重唱「でもやっと何時の日か分かってくれるでしょう」を歌い、ニネッタを慰める。

そしてジャンネットと入れ替わりに代官が牢獄に現れ、自分の愛を受け入れるならば助けてやろうというアリア「君のためなら愛するかわい子ちゃんよ」を歌うが、ニネッタは死刑のほうがましだと言って拒絶する。

代官と入れ替わりにピッポが登場。ニネッタはピッポに隠し持っていた金を渡し、これを栗の木の下に届けてくださいと最後の願いを言う。二重唱「ああ、私からといってこの指輪を」

第2場
変わって舞台はファブリッツィオ家の一階の部屋。

ルチーアは一度疑ってみたものの、ニネッタのような娘が盗みをするはずが無いと考え直し、そこへ娘が現れないことに心配したフェルナンドが来て事情を知り驚く。フェルナンドは例え自分が死刑となっても娘を救うために出廷し、真相を話そうと、アリア「盗みで訴えられたと…」を歌い退場する

第3場
舞台は法廷。

判事が現れニネッタの罪状を読み上げて死刑を宣告する。そこへフェルナンドがやってきて娘を許してくれるよう事情を打ち明けるが証拠が無いと取り合ってもらえず、ニネッタの死刑が執行されることになり、同時にフェルナンドも脱走罪で逮捕される。

第4場
フェルナンドの友人エルネストが国王の恩赦を取り付けて彼を探しに来て折り良く出会ったピッポにファブリッツィオの家の住所を聞いてその家のほうに向かう。ピッポはニネッタに言われたとおり栗の木の下にお金を届けたので、この広場で残りのお金を数えているとそこに突然一羽のカササギが飛んできて銀貨をくわえて逃げる。ピッポはカササギを追っていく。

変わって小太鼓が鳴り死刑台への行進曲「不幸せで不運な娘だ」が奏されニネッタが出てくる。そのとき、ピッポが鐘楼の中にカササギか隠した銀食器を発見し、一連の事件がカササギによるものと判明し、みんなに伝える。ついにニネッタは無罪となり、同時にニネッタの父フェルナンドもエルネストが届けてくれた恩赦状によって許される。そしてニネッタは愛するジャンネットの胸に抱かれ喜びのうちに幕が降りる。

主要曲
アリア「私の周りがみんな」(第1幕第1場・ニネッタ)
アリア「さあこの腕の中に」(第1幕第1場・ジャンネット)
アリア「私の計画は用意周到だ」(第1幕第1場・代官)
二重唱「でもやっと何時の日か分かってくれるでしょう」(第2幕第1場・ニネッタ・ジャンネット)
アリア「君のためなら愛するかわい子ちゃんよ」(第2幕第1場・代官)
二重唱「ああ、私からといってこの指輪を」(第2幕第1場・ニネッタ・ピッポ)
アリア「盗みで訴えられたと…」(第2幕第2場・フェルナンド)
死刑台への行進曲「不幸せで不運な娘だ」(第2幕第4場)

2009年02月08日

チョーラ朝

チョーラ朝(Chola)(-ちょう;845年頃?1279年頃)は、南インドを支配したタミル系のヒンドゥー王朝。チョーラ朝の名が付く南インドの地方政権は、シャンガム文献と呼ばれるタミル古典文学にも記述があって、1?3世紀頃にカーヴェリ河畔のタンジャーヴールよりやや上流のウライユールに首都をおき、全インドを征服したとかセイロン遠征をして多くの捕虜を連れ帰ったというカリカーラ王の伝承で知られているが、一般的にはパッラヴァ朝の封臣であったヴィジャヤラーヤ(位846?71)がタンジャヴールに興した王朝のことを指す。なお、シャンガム文献のチョーラ朝とこれから記述するチョーラ朝と関係は不明である。
ナーゼ リズム チェリ ゲバラ 津田かぶ ハニカム ロジック ニーネ フィギ メートル ドニヒリズム チェーサー はこべ ジレン ジェミニ 次郎柿 ブリク テクノロ きない ニップレス ケイン そらの木 ギリソウ カレッ ヤルタ ミムルス 希望の橋 イメクラダ ブック ナチス ラーメ 幸福 ローボール かっさい シュリン オステ けたあみ バシリ ノニオ スイレ かめだ 西条柿 テント 小指 サイトミニ ばれいし デジパー ドライ マグネット バロメ

チョーラ家のヴィジャヤラーヤは、パッラヴァ朝がパーンディヤ朝と抗争を繰り返す過程で勢力を拡大し、パッラヴァ朝の封臣ムッタライヤル家からタンジャヴールを奪って本拠とした。孫のアーディティヤ1世(位871?907)は、パラヴァ朝の内乱に乗じて主君のであるはずのパッラヴァ家のアパラージタを殺害し、その領地を併合した。次のバラーンタカ1世(位907年?55年)は、パーンディヤ朝の本拠マドゥライを陥落させ、セイロンの援軍も破ってパーンディヤ朝の版図を併合した。パーンディヤ王は、セイロンに逃れ、セイロンとチョーラ朝はこのことを契機に反目するようになった。しかし、949年、ラーシュトラクータ朝のクリシュナ3世は、バラーンタカ1世を破り、チョーラ朝の北部、つまりパラヴァ朝の故地の大半を併合した。このためチョーラ朝は、カーヴェリー川下流域を支配するのみの小勢力にまで落ち込んだ。965年、クリシュナ3世が没すると東チャールキヤ朝などとの協力で衰運のラーシュトラクータ朝を攻撃する一方、セイロン遠征をおこない、バラーンタカ2世(位956?73)時代にはかなりの失地を回復することができた。バラーンタカ2世を継いだのは子のラージェンドラ1世とともに英傑として知られるラージャラージャ1世(位985年?1016年)である。

ラージャラージャ1世は、パーンデイヤ朝とケララ、セイロンの連合勢力を破り、セイロンの北半分を併合、支配した。デカン高原にラーシュトラクータ朝に代ってカリヤーニのチャールキヤ朝が興ると、カリヤーニのソーメシュヴァラ1世とヴェンギの東チャールキヤ朝の宗主権をめぐって勢力争いを起こすことになった。西部デカンを支配するカリヤーニのチャールキヤ朝にとっては、東チャールキヤ領のカリンガ(現オリッサ地方)は、良港に恵まれ、穀倉地帯であり、さらに南下して勢力拡大するための拠点となる要衝であった。裏を返せばチョーラ朝にとっては、北インドへ進出するための重要な通路ということになる。東チャールキヤ朝は、10世紀以降、王族間の争いのため、一時的に断絶していたがこれを奇貨としたラージャラージャ1世は東チャールキヤ家のシャクティヴァルマン1世を擁立して再興した。またシャクティヴァルマンの弟、ヴィマラーディティヤに娘クンダヴァーを嫁がせた。クンダヴァーは後のラージェンドラ1世の妹にあたる。ラージャラージャ1世は、遠い血縁を主張してヴェンギに攻め込んだチャールキヤ軍の虚をついて都カルヤーニを直接攻撃して、これを破り、クリシュナ川を越える地までを事実上の支配下におさめ、東チャールキヤ朝の宗主権の確保に成功した。また、ケララを支配下に収めたラージャラージャは、台頭著しいアラブ商人に対抗して西方貿易の利を確保するため海軍をおくってモルディヴ諸島までも征服した。ラージャラージャ1世は、首都に多くのシヴァ、ヴィシュヌ寺院を建設したが、そのうち世界遺産でもあるブリハディーシュワラ寺院(当時は王の名をとってラージャラージェシュワラ寺院と呼ばれた)は1010年に完成した。また1013年には、北宋に通商のための使者をはじめて送っている。子のラージェンドラ1世(位1016年?44年)はガンジス河畔まで遠征軍を送ったり、スマトラのシュリーヴィジャヤ王国に1017年と1025年に海軍を遠征させるなどチョーラ朝は勢威を示した。ラージェンドラ1世の時代に、チョーラ朝はインド洋から中国に至るまでの制海権を支配し、貿易の利を独占した。

東チャールキヤ朝との合併と周辺諸国との争い
その後もチョーラ朝はその版図を維持し、ヴィーララージェンドラ(位1063年?69年)のときにシュリーヴィジャヤ王のためにスマトラ島のケダーで起こった反乱を鎮定している。1070年、チョーラ朝の王位が空位になるとラージャラージャ・ナレンドラの子で当時東チャールキヤ王であったラージェンドラ2世は、クロトゥンガ・チョーラ1世(位1070年?1118年)としてチョーラ王も兼任した。以後、東チャールキヤ王家は、チョーラ朝と一体となる。ところでカルヤーニのチャールキヤ朝ではソーメシュヴァラ2世が王であったが、弟のヴィクラマディーティヤ(6世)は納得せず、王朝の版図の南側に拠点を築いて独立した。クロトゥンガ1世は、ソーメシュヴァラ2世を支援したが、1076年頃、ヴィクラマディーティヤ(6世)は、ついに兄王ソーメシュヴァラ2世を捕らえて自らが即位することになった。ヴィクラマディーティヤ6世によって、チョーラ朝はヴェンギの内政に干渉され、一時的ではあるがこの地の支配権を奪われた。またセイロンで反乱が起こって失われ、マイソールに興ったホイサラ朝やパーンデイヤ朝に攻められるなど厳しい状況にさらされたが、内政につとめて一定の治績をあげ、王朝の安定に努めた。 1077年に宋に送った通商使節は、70人に達し、中国側には「ガラス器、樟脳、綿織物、犀の角、鹿の角、象牙などの品々が捧げられ、81800本分の銅貨を下賜した。」という記述が残されている。

終末期のチョーラ朝とホイサラ朝、パーンディヤ朝
[編集] チョーラ朝の衰退と滅亡
その後、チョーラ朝は、優れた寺院建築を残したもののじわじわと衰え、地方領主層の台頭が目立つようになってくる。その間、チョーラ朝は、セイロンとパーンディヤ朝の宗主権をめぐって争っていた。12世紀末、クロトゥンガ3世(位1178年?1218年)は、ホイサラ朝と同盟して3度パーンディヤ朝に攻め込みマドゥライを陥落させるなど、勢力回復につとめたが、かえってホイサラ朝の自国領内への介入を許すことになった。クロトゥンガ3世の死後、チョーラ朝はすっかり弱体化し、ホイサラ朝は、カンナヌールまで勢力下に収め、北方のカーカティヤ朝や南方のパーンディヤ朝も加えての草刈り場と化した。1279年に仇敵のパーンディヤ朝によって滅ぼされた。

チョーラ朝の統治機構、社会の様子
チョーラ朝の王の権威は強力で、王に助言するための大臣の会議、身辺警護兵がいた。また、「三つの足」と称せられる戦象部隊、騎兵部隊、歩兵部隊のほかに強力な海軍をもっていた。海軍は、ラージェンドラ1世時代には、モルジブ諸島 、マラバール海岸、コロマンデル海岸、ベンガル湾全域、スマトラ島付近までの海域を支配できるほど強力であった。国内は、9つのマンダラムと呼ばれる州に区分され、しばしば王子たちが長官に任命された。マンダラムは、バラナードゥとかコータムと呼ばれる区域で分けられ、バラナードゥやコータムは、さらにナードゥに区分された。ナードゥは、数十箇所かあるいはそれ以上の数の村落によって構成されていて、村落寺院に残る刻文によって当時の様子についての情報をある程度得ることができる。チョーラ時代の村落は、バラモンに与えられたブラフマデーヤ村落とそれ以外の村落があって、前者には、サバイ、後者にはウールと呼ばれる自治的共同組織があった。サバイについての研究はS.Krishnawami Aiyangarなどの研究者によってその自治的機能が優秀であったことが明らかにされている。つまりブラフマデーヤ村落は、地租を免除されるかわりに地租の査定や徴集を行うための組織や治安維持や裁判を行うための組織、治水、潅漑を統御して各村落や畑に水の配分をおこなう組織があって、一般的な村落では、農民たちが土地を共同保有し、共同で耕作を行い、ウールの会議によってさまざまな細かい取り決めをしていたので、王権との強い結びつきのあったバラモンのもとにあるブラフマデーヤ村落はほかの村落をまとめてその地方の統治秩序や生産活動を先導する役割を担っていたと考える研究者や中央集権的ではなくカーストやそれに関連する職業ごとの社会的組織などが社会を統合する機能を担っていて、官僚への給与の支払いに税収をもたらす土地を割り当てたことからも緩やかな封建制であったと考える研究者もいる。チョーラの王たちは、交易の振興や軍用道路として道路網の整備 を行い、カーヴェリー川などの河川から灌漑用の水路がひかれ、多くの貯水池がつくられた。また地租を徴集するために その適切な課税額を把握するため、一種の検地が行われた。また、特筆すべきなのは、道路網の整備や海軍の警察力によって北インドやジャワやスマトラ方面にまで交易活動をおこなうような商人ギルドが存在したことである。

2009年01月23日

フェイト/タイガーころしあむ

『フェイト/タイガーころしあむ』(Fate/tiger colossum)とは2007年9月13日に発売されたTYPE-MOONのビジュアルノベル『Fate/stay night』を原作とする対戦アクションゲームである。2.5頭身にディフォルメ化されたキャラクターたちが登場する。2008年8月28日には続編として新要素を追加した『フェイト/タイガーころしあむ アッパー』(Fate/tiger colossum UPPER、以下「アッパー」と記す)が発売。

ある日、衛宮士郎が目を覚ますと、冬木市はあたまの悪い結界に包まれていた。

「毎度おなじみ、聖杯戦争、聖杯戦争でございます。

ご不要になった夢希望、もう諦めた野望などがございましたら、

お気軽にコロシアムにおいでください」

響き渡る謎の声。

街中に蔓延する対戦ムード。

失われた令呪。

いま、虎聖杯をめぐる新たな戦いが始まる。

・・・・・と思う。


主題歌
いずれも「フェイト/タイガーころしあむ オリジナル・サウンドトラック」に収録。

OPテーマ:Ready Go!
歌・作詞:榊原ゆい 作曲・編曲:DJ SHIMAMURA
アルバム「Ultimate A-Style」にJAKAZiD J-Core Remixが収録されている。
EDテーマ:SAYONARAじゃない。
歌:榊原ゆい 作詞:くまきり 作曲・編曲:lkee
通常.verに加えupper.ver(編曲:DJ SHIMAMURA)、ballad.verの3種類。

特盛限定版
通常版の他に以下のグッズが同梱された限定版も同時発売された。

ドラマCD“虎の威を借るケモノたち”
A4版フルカラー設定資料集
特製ポーチ
A4サイズクリアポスター

フェイト/タイガーころしあむ アッパー

ストーリー
藤村大河の家に流星が落ちた。

人的被害は無かったものの、その焼け跡から謎のネコガタ生物が現れる。

「我々 ハ インベーダー ダヨ」

混乱に陥る冬木市、その中で誰もが思ったのは、

「もう虎聖杯関係なくない?」

主題歌
OPテーマはコミックマーケット74で発売された福袋にて先行販売。「フェイト/タイガーころしあむ アッパー オリジナル サウンドトラック」にショートバージョンが収録。

OPテーマ:Try Real!
歌・作詞:榊原ゆい 作曲・編曲:DJ SHIMAMURA
挿入歌としてマジカルアンバー.ver(歌:マジカルアンバー 作詞:つくりものじ)が使用されている。
EDテーマ:SAYONARAじゃない。
歌:榊原ゆい 作詞:くまきり 作曲・編曲:lkee
通常.verに加え、アップ.ver(編曲:DJ SHIMAMURA)の2種類。ballad.verは挿入歌として使用されている。
挿入歌:Ready Go!
歌・作詞:榊原ゆい 作曲・編曲:DJ SHIMAMURA

MEGAMORI BOX
通常版の他に以下のグッズが同梱された限定版も同時発売された。

タロットカード“タイガーカードウルトラ”
タロットバインダー
ドラマCD“虎の手も借りるケモノたち”
極上スペシャルDVD
A4版フルカラー設定資料集

ゲームシステム

操作方法
攻撃
□ボタンを押すと通常攻撃ができる。最大3回まで連続攻撃ができるが、突き飛ばし(後述)を組み合わせる事で最大6回のコンボができる。ジャンプ中も攻撃可能。
ダッシュ中に攻撃をすると敵キャラクターに隙を与え、かつ所持するタイガーボールを放出させる事ができる。ただし通常攻撃が遠距離攻撃の場合はこれには及ばない。
『アッパー』では同時に攻撃がヒットすると鍔迫り合いとなり、□ボタンを多く連打した方が追加攻撃をする。
富有柿 クイッ リブート フットサ ラインス メスズ ファズ検索 ドックス イエロ ウィン だんがい ダーティー セント テープ サーチケ パラノイ モーゲージ ユーロ ムード ニュース チロロ レチノ サキソニ リピー プブック ヘデラ みそぎ タンバ 天王寺 火の鳥 イツァ タンタル はしゅ バイヤヤー レディネス フライト スロイス トレモロ 超特急 こたん はたけやま 応和 サウス テーベ シャレ トゴス スコッチ リーデー オフェンス ゲンノシ

防御
Rボタンを押す事で敵キャラクターの攻撃を防御できる。なお防御しながら攻撃を受け続けると防御が不可になる。その場合は一定時間経過すると可能になるが、時間が短いと耐久時間も短くなる。
攻撃されて吹っ飛ばされている時に防御をすると受け身が取れて、ダウンを回避できる。
突き飛ばし
△ボタンを押すと突き飛ばし攻撃ができる。ダメージは少ないが敵キャラクターに通常攻撃より多い隙を与え、防御を崩しかつ所持するタイガーボール(後述)を放出させる。
『アッパー』ではさらに敵キャラクターに向かってアナログスティックを入力したまま突き飛ばしをすると、やや隙が生まれるがリーチの長い突き飛ばしができる。
ジャンプ
○ボタンを押す事でジャンプができる。このアクションによってステージによっては高所に立つ事ができる。なお高所から地上に落ちると若干の隙ができる。
ダッシュ
×ボタンを押す事でダッシュができる。1回ダッシュをする事でブーストゲージ1/4消費するが、ゲージが1/4以下の時はダッシュはせずに隙ができる。
集中(後述)しながら対象キャラクターの横方向に向かってダッシュすると、対象キャラクターの背後に回り込む事ができる。
集中
Lボタンを押す事で一番近い敵キャラクターに攻撃の焦点を絞る事ができる。この際、移動速度が大幅に落ちる。
集中しながらアナログパッドを同方向に連続で入力すると、その方向に小さくジャンプする。
共闘
「アッパー」で追加されたコマンド。チームバトルで味方キャラクターに「!」マークが表示されている時にLボタンを押すと、一定時間自分と味方キャラクターの攻撃力が上がり防御力が下がる。「!」マークは、味方キャラクターの側で集中をしている時に敵キャラクターに突き飛ばしをすると表示される。
特殊攻撃
△ボタンとRボタンを同時に押すと、MP若干消費して攻撃範囲の広い特殊攻撃ができる。隙が大きいが、攻撃中に隙が発生する事はない。
虎令呪
「アッパー」から追加されたコマンド。×ボタンとRボタンを同時に押すと各キャラクター毎に設定されている特殊能力が発動する。1度のバトルで3回まで使用可能で、効果は一定時間経過するかHPが0になるまで続く。
必殺技
タイガーボールを所持している状態で□ボタンとRボタンを同時に押すと、MPを50%消費して各キャラクター毎に設定されている必殺技ができる。詳細は各キャラクター紹介を参照の事。
超必殺技
タイガーボールを所持している状態で○ボタンとRボタンを同時に押すと、MPを100%消費して各キャラクター毎に設定されている超必殺技ができる。詳細は各キャラクター紹介を参照の事。

モード
ストーリーモード
全キャラクター分用意されているオリジナルストーリーが展開されるモード。全7話で構成され、1話に1回のバトルがある。
フリーバトル
キャラクター・チーム・ルール・ステージなどを自分で設定してコンピュータと戦うモード。なお変更できる設定はストーリーモードで獲得した設定のみ変更ができる。
ネットワークバトル
虎祭と呼ばれるネットワーク対戦モード。最大4にまでが参加できる。
エクストラ
「アッパー」で追加されたモード。ゲームをプレイしていると獲得できるtm(タイガーマネー)を消費して、キャラクターイラスト・BGM・シナリオ・ムービーを閲覧できるようになる。『フェイト/タイガーころしあむ』のUMDがあると、『フェイト/タイガーころしあむ』のシナリオも閲覧可能になる。

パラメータ
HPゲージ
HPを緑色のゲージで表示。ゲージが0になると倒される事になる。
「アッパー」では復活後、一定時間無敵状態となる。その際、キャラクターは透明に点滅する。
MPゲージ
MPを赤色のゲージで表示。攻撃を敵キャラクターに当てると若干回復する。戦闘開始当初は最大50%までしか回復せず、タイガーボールを得る事によって100%まで使用可能となる。
ブーストゲージ
ダッシュの可能限界を水色のゲージで表示。100%で4回ダッシュができる。最後のダッシュからしばらくすると徐々に回復する。
タイガーポイント
勝利条件となるタイガーポイントを表示。普通、敵キャラクターを倒すとその虎力分のポイントが入るが、バトルルールによっては例外もある。
虎力
各キャラクター毎に設定されている数値。敵キャラクターを倒すと、その敵キャラクターに設定された虎力分のタイガーポイントを獲得できる。ただしバトルルールによっては加算されない場合もある。数値の詳細についてはキャラクターを参照の事。

2009年01月16日

弘法大師(こうぼうだいし)

天の浮橋 ワインレッド ルバーブ 優しい響き マナー スピネル うむら タルブロク ドライブ ドマリエ スペツナズ シルク ダンネージ タイフーン かきょう ストリ 薪の音 次世代 スコア ロッジ まいこ ギャンブ リプリン リマーク しまやま フィト マリッジ ラニン オダマキ ジンバク ステップ フリー ストック ムッシュー かまど シンボリ トルクア ブルネイ メクチュ ライト ノッブ ソンブ 道のつづき ミノス マキシム データ ラチア ビンゴ シャド マキザサ

空海(くうかい)は、平安時代初期の僧。「弘法大師(こうぼうだいし)」の名(諡号〈醍醐天皇、921年贈〉)で知られる、真言宗の開祖。俗名は佐伯 眞魚(さえき の まお、〈まなとも〉)。日本天台宗の開祖最澄(伝教大師)とともに、旧来のいわゆる奈良仏教から新しい平安仏教へと日本仏教が転換していく流れの劈頭に位置し、中国から真言密教をもたらした。能書家としても知られ、嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆のひとりに数えられる。

宝亀5年(774年)、讃岐国多度郡屏風浦(現:香川県善通寺市)で生まれた。父は郡司・佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)、母は阿刀氏、幼名は真魚[1]。真言宗の伝承では空海の誕生日を6月15日とするが、これは中国密教の大成者である不空三蔵の入滅の日であり、空海が不空の生まれ変わりとする伝承によるもので、正確な誕生日は不明である[2]。

延暦8年(789年)、15歳で桓武天皇の皇子伊予親王の家庭教師であった母方の舅である阿刀大足について論語、孝経、史伝、文章等を学んだ。

延暦11年(792年)、18歳で京の大学寮に入った。大学での専攻は明経道で、春秋左氏伝、毛詩、尚書等を学んだと伝えられる。

仏道修行
延暦12年(793年)、大学での勉学に飽き足らず、19歳を過ぎた頃から山林での修行に入ったという。御蔵洞(高知県室戸市)で修行をしている時、口に明星が飛び込んできて悟りを開いたといわれている。その間、空海が目にしていたのは空と海だけであったため、空海と名乗ったと伝わっている。24歳で儒教・道教・仏教の比較思想論でもある『聾瞽指帰(ろうごしいき)』を著して俗世の教えが真実でないことを示した(「聾瞽指帰」は、後に序文と巻末の十韻詩を改定、『三教指帰』(さんごうしいき)と改題されている)。この時期より入唐までの空海の足取りは資料が少なく断片的で不明な点が多い。しかし吉野の金峰山や四国の石鎚山などで山林修行を重ねると共に、幅広く仏教思想を学んだことは想像に難くない。『大日経』を初めとする密教経典に出会ったのもこの頃と考えられている。さらに中国語や梵字・悉曇などにも手を伸ばした形跡もある。

ところでこの時期、一沙門より「虚空蔵求聞持法」を授かったことはよく知られるところである。『三教指帰』の序文には、空海が阿波の大瀧岳や土佐の室戸岬などで求聞持法を修ましたこと、明星が来影するという形で行が成就したこと、が記されている。求聞持法を空海に伝えた一沙門とは、旧来の通説では勤操とされていたが、現在では大安寺の戒明ではないかと云われている。戒明は空海と同じ讃岐の出身で、その後空海が重要視した『釈摩訶衍論』の請来者である。

空海の得度に関しては、延暦12年(793年)に20歳にして勤操を師とし槇尾山寺で出家した、という説、あるいは25歳出家説が古くからとなえられていたが、現在では、延暦23年(804年)、入唐直前31歳の年に東大寺戒壇院で得度受戒したという説が有力視されている。また空海という名をいつから名乗っていたのかは定かではない。無空や教海と名乗った時期があるとする文献もある。